MICHI ISHIJIMA - Pride One -

得手不得手

得手不得手

何事も得手と不得手があるもので、ただそれって意識し始めてからのことなのかもしれない。

学生時代、数学系は得意だけど国語系は苦手でした。でもそれって自分で意識していたわけではなく、成績として現れてしまっていたための認識。国語系が不得手と思っていただけで、その後に写真を仕事にするようになってから一時期は文字書く原稿料の方が写真の収入よりも多かった時期もある訳で、、、。小中学生時代は学年で1、2番の足の速さ。しかしその後は全く走る事が好きではなくなってむしろ苦手。今じゃ走る?とんでもない!wそんな感じでおります。

カメラ評論家達は「このカメラの得意不得意」という風にカメラ個体を区別してしまっていますが、その得意不得意ってむしろ極論からいうと撮影者の問題。撮影者が楽してカメラ任せでボタン押していることに起因する話。そんなん簡単に言っちゃうとカメラはなんでもいいんです。じゃなくて画素数であったり出てくるJPGの色合いだったり、レンズ特性での使い分け以外は何の意味合いも持たない。あとは『そのカメラ』が撮影することに対してのモティベーションにつながったりするだけ。

また書きながら話が脱線(やっぱ国語ダメかもw)しそうになってますが(苦)、最近自分で撮影するものに対しての自分自身の得手不得手を感じております。それが嫌いなわけではなく、むしろ好き。だからこそ余計に「へたくそやなぁ〜」と自分自身で感じて不得手にしてしまっているのかもしれません。

克服するには撮り続け、悩みながら試行錯誤するしかないのかも?!とはわかってはいても、多分打開策は自分なりの完成形、枠を作ってしまうのが一番なのかもしれません。お手本になる写真があれば良いのですが、見当たらない。まぁその部分の感性が未完成ということでまだまだ伸び代があると思いたい今日この頃です(苦)