その昔、東京・品川駅に程近い本社の会議室にて100人越えの開発者を前にセミナーをおこなった時の話です。
「皆さんは自分の子供の運動会、学芸会、親友の結婚式の撮影を頼まれたとして、何のカメラを現在お使いですか? また使いたいですか?!」
出てきた答えは ”Canon” ”Nikon”。ちなみにここはこの2社以外の会議室でした。
このメーカーは元々一眼レフは作っていませんでした。
音楽プレーヤーをコンパクトにすること、いろいろな物をコンパクトにして一世を風靡してきた会社でした。カシオがデジカメを作り写真そのものがデジタルに移行していた時、数々の異色のコンパクトデジカメを販売してきた会社でした。それはそれは素晴らしいコンパクトデジカメだったのです。そして日本の一眼レフにオートフォーカスというものを理論だけの書面に賠償金という身銭を切らされながらも定着させ、押せばピントが合うという今の当たり前を作り出したカメラメーカーからその技術者と共にブランドごと一眼デジカメがこのメーカーに引き取られました。
初号機は使い物にならないくらいのカメラでしたが、なんとかメーカーのブランド力で耐えて維持しました。まだ元の会社のカメラ事業部が大阪の新大阪駅近くに残されていた時期で、コンパクトデジカメの東京とは別れてのそれぞれ別部署として存在、約5年かかるカメラ開発で、元の会社としての最後に開発していたカメラ、この世の中にこれ以上ないであろう最高のプリズムを積んだ2400万画素デジカメを世に送り込むとともに一眼レフ事業部は東京本社に移転して来たのです。しかし長い間の会社自体の歴史、家族を大阪に残して単身で東京に移ってきた技術者もいた程です。
私も新大阪に通ったり、品川にも足繁く通い開発で南アフリカにてテスト撮影をしたりして多くのDNAを注ぎ込んできました。
しかし移籍してきた技術者たちは安住の地を与えられるではなく程のいい首切りのように海外を含め移動させられ、挙げ句の果てには畑違いの移転先を別会社にしてその部署ごと別会社として抹消したのです。私にも「みちさんに言われたこと全て入れました!」と言ってはきてくれましたが1台も持ってきたりもせずに。
ある日の会議、「いつも会議室ではなんですから」とビル並びの居酒屋で話をする事になり、技術者が飲み食いする中ひとしきり話を終えるとお開きに。「石島さん、5000円でいいです」とは空いた口が塞がりませんでした。大阪からのひとりが払ってくれ「この会社はこういうところなんです」と耳打ち(苦)
「仏作って魂入れず」とはよく言ったもので、仏像を作っても魂を入れなければただの木なのです。
いくらAFが速かろうが、秒間何コマ撮ろうが、作り手が使う身になってものづくりをしない、そして井戸を掘った人々を蔑ろにしてそのカメラが撮るものはなにも入っていない、写真を撮影する上で一番大切な「心」の入っていない、心を撮ることの出来ない鉄の塊でしかないのです。
一度はその上部に惹かれて手にはするものの、『写真が撮れる人々』は皆離れて行きました。一様に「撮っててつまらない」と言って手放しました。今残っている人々はカメラ任せで目の前のモノをキャプチャーするだけしか撮影出来ない人々かそこのロゴが入っている事に満足している人々なのかもしれません。一般的にはブランド力四文字アルファベットが強いみたいですが、盛田さんはきっと・・・
さぁ、あなたはカメラを購入する際の選択、何を重要視しますか!?
撮れた!ではなく、あなたの心ないところで「カメラが撮ってくれた!」でいいですか??