MICHI ISHIJIMA
「世界で一番わたしを綺麗に撮ってくれる」
「私をより私らしく残すことが出来る事ができるのは、みちさんだけだと思っています」
「『あれ?今日はミチさんじゃないんですか?残念』と言われちゃいました」
「日本人の感性なのかどうかわからないが、Michiの写真は素晴らしい。今まで観た事無いMichi’s Angleだ」 …
どれもこれもボクを支えている宝物の言葉。カメラを持っている時のMICHI ISHIJIMA。
一方で「陰で噂するのは良いが、表立って言ってはいけない」とプロサッカークラブを解雇されたり、「対外的に主張すると信用失いますよ」とTV局に言われたりしてしまう裏表の嫌いなカメラ機材を持たない石島道康は日本社会からの弾かれもの。日本滞在での自己嫌悪の無気力状態を脱するためには24時間365日写真を撮り続ける事。
『綺麗』なものを「綺麗」と言って何が悪いのか?
それを写真で表現する事が出来る日が来るまで未完成な写真を撮り続けているのだろう。
Pride One
『写真を撮る』これが仕事になった1986年6月、時を同じく公開された映画『PRIDE ONE』。
その映画に描かれていたのはサーキットで周回するオートバイレースだけではなく、ケニー・ロバーツを中心とした男達の生き様、レースを支える人々、集う人々、風景であり人間模様であった。
映画終盤には夢半ばにして世を去ったライダー達を追悼。
Madisonの『PICTURES RETURN』の曲とともに「彼らは世界中のサーキットを疾走し、青春をコースに燃やし尽くした。その軌道は、永遠にコースに刻み込まれている。彼らがモーターサイクルスポーツに寄与した功績は大きい。そして彼らの胸の中にも熱く輝くプライドワンが生きている」と、描かれていた。
コンマ1秒に人生を刻む男達。彼らがその闘志を燃やし続ける限り、モータースポーツシーンは前進を続ける。
栄光のゼッケンNo.1、プライドワンとともに、Europeの『CARRIE』の曲で映画は終わる。