それは今を去ること27年前のことでした。日本にJリーグが誕生する前年の1992年、日本のサッカーがプロ化して大きく変化を始めようとした年のことです。
サッカー日本代表にそれまでまったく無名の選手が選出されました。名前を森保一、マツダからサンフレッチェ広島と名前を変えたチームからでした。広島で開催された第10回アジアカップの出来事です。
「もり・ぽいち?」
誰も読み方を知らなかったその選手の献身的な活躍は目覚ましく、そしてそれまでの日本代表とは違い、新生オフト監督の率いる日本代表は突然強くなった?と言っても過言ではありませんでした。その立役者のひとりである森保選手に「フォトグラファーで森保選手に記念のパネルを贈ろう!」という話になり、みんなでお金を出し合って写真パネルを作り、決勝を前に寄贈。見事1−0で強豪サウジアラビアを下しての初優勝を飾った想い出深い大会となりました。当時はまだフィルム時代です。
今でこそアジアの強豪国となり、W杯も連続出場を続けている日本ではありますが、当時は弱小国としてキリンカップの対戦相手すら『国』の代表にも相手にしてもらえず、クラブチームをキリンさんのお金で呼んで来ての大会で、観客もミチジマも対戦相手のクラブチーム目当ても楽しみに国立競技場に足を運んでいた時代の話です。
そんな「ぽいち」さんが日本代表のU23の監督とともに去年Aチーム監督ととなり、テレビが自宅でインタビューを収録したときに、その写真パネルがまだ飾られていたそうです(うちにテレビないから見てないけどw)。
26年の時を経ても飾ってもらっている写真パネル。。。
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昨日のアメフトの試合、退団後初のそのチームは2試合目でした。1試合目途中ではありましたが、ちょこちょこ抜け出し、挨拶回りをしていました。代表のところに行き「長い間ありがとうございました。すみませんでした」というと笑顔でひと言返して握手を求めて来てはくれたのですが、スマホを取り出して見はじめ・・・。あぁ〜そんなとこだよな(苦)早く気が付いてよかった(笑)と想うとともに、納会の時に創設10周年ということでプレゼントしたこの代表の現役時代の大きなパネル、箱に入ったままなんだろうなぁ〜と感じられてちょっと残念でした。
その前、やはり昨日の1試合目には昨シーズンで引退なされてしまったとあるチアリーダーの方に写真(パネルというほどの豪華さはない・苦)を「すみません、渡してください、あっ、渡す時に**さんカッコいいいぃ〜!と伝えてください♡」とお願いしていました。夜になってからお礼を連絡して来てくれました。「部屋に飾ります」と言ってくれました。伝言もきいてくれたそうです(∩˃o˂∩)♡
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そして思い出した「ぽいち」監督のパネル話。
懐かしくもあり、そしてやっぱりぽいちさんはぽいちさんだったね!という話。。。でした。