MICHI ISHIJIMA - Pride One -

さようなら の語源

さようなら の語源

いちよこんなミチジマではありますが、桐ヶ丘幼稚園、桐生市立北小学生、同北中学校、県立桐生高校と普通に友達はおりましたw 幼稚園では「たいらけいこ」(漢字忘れたw)という、のちのアイドル雑誌全国人気投票1位(芸名忘れたw)に輝いた娘(こ)とばかり遊んでいた記憶しかないです。しかもファーストキスはすでにこの時www。けいこちゃんは西小へ、そしてひとりで進んだ北小では常に6年間学年で1番か2番の俊足(逃げ足じゃねえぇよw)で、テスト成績も学年で1番か2番を友達と分かち合っていました。そいつ(誰だったかすら忘れたw)が卒業の挨拶をして、北中入学式では私めが新入生代表挨拶をご指名いただき、あいさつをさせていただきました。何と原稿書いたか、話したかはまったく覚えてないですが(苦)、帰り道で他のご父兄から「お父さんが考えてくれたの?」というくらい大人びていたよく出来た内容だったようです。もちろん自分で考えたさ♪ この頃は文才も(も!w)あったらしく、読書感想文が桐生市産業文化会館に展示されました。なんでだったっけ?!(汗)

高校に入り、井上和幸(かずゆき)と出逢いました。

そいつとばかり遊んでいました。ボクがGORO(講談社)買って、いのちゃんがスコラ(当時は集英社)買って読み終わるでもなく交換したりして。カセットテープでDJ音楽テープ作って交換したり、京都のラジオ局で井上和子という女子大生がMCする番組、ミスキャンパスDJ(文化放送はミスDJ、川島なお美さんとか千倉まりさんとかの時代)を群馬で微弱な電波で聴いて、「ボクの親友に井上和幸がいます!」という手紙を出して、読まれたりして、それはのちの『世界の中心で愛を叫ぶ』な感じw 今考えたら男だけど恋人かっ!?って内容ですね(自爆)。3年になってテニス部部長になっても部活そこそこに一緒に帰ったりして。。。住まいは遠く離れていたのですが、ずっと連んでたなぁ〜。でも男子校だったので、他の高校の女子と付き合うことになったいのちゃん、高校最後はあまり連んだ記憶がない。

生涯唯一の親友と胸を張って言える存在でした。

高校を卒業して、いのちゃんは群馬大学へ。ボクは東京都江戸川区小岩で新聞配達の新聞奨学生をしながら当時御茶ノ水にあった写真学校へ。そこでも文通してた記憶が(だからぁ〜恋人かっ!?www)

名取裕子さん主演映画の序の舞(宮尾登美子さん原作)を先輩の部屋でテレビ見ながら「名取裕子のおっぱい綺麗ぃ〜」と書いてた記憶が今でも残っています(吉原炎上かとずっと思ってたら同映画は1987年の作品でした。記憶違い・汗)

1986年春、配達を終えて店に帰ってくると販売店の奥さんが「実家から電話があったわよ、ご不幸があったらしい。電話して!」というので、店の公衆電話ではなくなぜか近くの電話ボックスに。手元にあるだけの10円玉持って行く途中てっきり父親だと思いながら冷静に実家に掛け直したことを覚えています。

「井上くんが亡くなった」

電話ボックスに言葉なく崩れ落ち、座り込んで泣きじゃくりました。

葬儀に出席する中で「運転手の野郎現れたら、殴りつけるだろうから俺を押さえていて」。綺麗な顔した遺体を観るときにはもう涙は枯れ果てていました。

大学の同級生運転する車の助手席に乗り、赤城山で事故。運転手は無事、いのちゃんは即死だったようです。

毎年この時期になると必ず思い出す記憶。

ゆうべ、というか今朝、寝ようとしていたベッドの上で、いのちゃんの声を聞きました。顔がはっきり出てきました。涙が自然と出てきました。そして気が付いた

「さよなら」言ってない。

「じゃぁ、またね」そう言って友達と別れ、その友達は津波にのまれて亡くなってしまって以来「またね」という不確定な別れかたが出来なくなった人がいると読んだことがあります。

ボクにとっては「さよなら」は特別な大事な言葉です。

だけど愛する人たちに対して言ったこと、言えたことがない言葉でもあります。

いつも言う機会を奪われてしまってきました。

「さようなら」の語源は、「左様ならば」、つまりは接続詞。

別れなければいけないならば・・・もう2度と逢えないかもしれない、ならば今を大切にしよう。

瀬戸内寂聴さんのことばににもこんなお話があります「与えられた限りある時間に、思い残すことなくたっぷり人を愛しておこうと思います。どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは必ず別れると言うことです。別れるために逢うんです。だから逢った人が大切なのです。」

「自分が孤独だと感じたことのない人は人を愛せない」「人生とは、出逢いと縁と別れです。出会ってから別れるまでの間に、嬉しいことや悲しいことがあって、それを無事に越えていくことが生きると言うことなんです。自分が幸運な時、運が向いている時は、必ず悪口を言われる。私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります。みんなのために良かれと思ってやっていることを、冷たい目で見る人たちがいます。そういう人は「縁なき衆生(しゅじょう)」と思って放っておきましょう。あなたはあなたで正しいことを、自信を持ってすればいいのです。」瀬戸内寂聴さん

「いいなぁ〜お前はいつまでも死んだ時の若いままでw」

「オレ、死のうとしてもお前が絶対に三途の川、渡さないんだろう?!w」

そんな会話をゆうべ、いのちゃんと。。。