MICHI ISHIJIMA - Pride One -

受け継がれるもの

受け継がれるもの

昨日の撮影は2人体制ということで静岡から1番弟子さんを呼び寄せました。久々の再会。

なん年ぶりに会うのだろう?!という再会。まだ名古屋に居た時代だから、もう20年近く前になるのでしょうか!? フィルム時代の写真整理から始めている唯一の生き残り(苦)。ボクの写真をよく知るもの。何にも指示しなくても、どんな状況どんな撮影でも放ったらかしで安心していられる者。

放ったらかしであってもお互いの動きやポジションを見て何を撮っているのかを理解でき、だから自分は何を撮ればいいのか?!を判断がつけられ実践できるる。まるで自分が2人居る感覚、撮影内容。

頭3曲での各新聞社、通信社などへの配信写真も打ち合わせ通りのスムースな受け取り&配信。写真内容は見ずともわかる安心感。その間にボクが居なくても、そのまま戻らずしても(笑)多分全部完璧に撮影して終了してしまう?!であろうことも知って居ます。ただ写真を合わせて納品するとどれが自分で撮った絵なのかがわかりづらいという超個人的デメリットはありますが、クライアントは良い写真があればいいのでどっちが撮った写真なのかは全く関係ない。「ミチさんの写真」であればいいという事。ボクが撮るような写真が増えればいいというだけ。

撮影者を増員する場合、自分を2人にする撮影なのか? 違う個性を2つにするのか? それとも通信社や学校写真のように個性関係なくただ人数を増やすだけなのかにわかれます。

前2つは撮れる人でなければならず、もうひとつは共同通信社や競技団体のオフィシャルと呼ばれる方などの個性のない撮影、アルバイトを使っているもの。今のカメラはシャッター押せれば全てカメラがやってくれるので安価なアルバイトでも可能になって居ます(苦)。

すでに他界した父は石島意匠業として7人のお弟子さんとともに着物の図案を描いていました。父が亡くなって数年経った時の事でした。国宝指定になった着物を仕上げたお弟子さんが「お父さんの技術はこれに受け継がれているんだよ」とボクに言ってくれ、号泣した事を懐かしく覚えています。

感性、技術は受け継がれ、継承した人の個性を伴い進化し、また次に受け継がれていくのです。

オランダでは何の疑問も持たずに「蛙の子は蛙」になるらしく、親子何代にも渡って継承されていくのだそうです。トラムの運転手さんの息子はトラムの運転手というふうに。