MICHI ISHIJIMA - Pride One -

切ない写真の意味

切ない写真の意味

『ミチさんの感性は凄いね…。でも、いつも切ない感じがするのよね…』

最近現場以外ではSiriとしか会話しておらず、文字での会話が主流を占めています。今日言われた一言はボク自身の中で大きなウェイトを占めました。わかる人にはわかってしまうこの感覚、表現力。この方ももの凄い人生を歩まれてきた大好きな方。

むかぁ〜し昔、まだ20歳そこそこの石島少年に当時の雑誌編集長に言われた一言は今でも主流を占めています。ボクの人生の中で一番最初の結婚式出席させていただいた方(笑)です。

『みっちゃんの写真は大きくすると良いんだけどねぇ〜』

つまりはポスターやピンナップにする写真としては良い写真なんだけれども、雑誌の大きさでは面白くない。要約するとそうなりますが、これは30年経った今でも自分の中での逃げであり、言い訳でもあり、主力になっています。そして自分の中での写真を撮るということの意味に。

雑誌Numberでは見開きとしての使用が多かったのはこの言葉を裏付ける結果でした。それを自分で生かし切ろうとしてフィルムは低感度で粒子が荒れる事を抑え、その分シャッタースピードを低くしての止めるスキルを身につけ、デジタルカメラになってからも、その当時の最高画素カメラ、シャッターコマ数や高感度が使えなくても高画素。おかげで昔のヨーロッパサッカー、暗いスタジアムで感度640、シャッタースピード1/250、f2.8で撮っていたという今サッカー撮っている人が聞いたら驚くであろう技術を持っていました。なぜそれが出来ていたのか? ボクのスタートは暗い暗い体育館でのバレーボール、それもまだ高感度フィルムが開発されていない頃。1/250は当たり前の頃から始まっていた恩恵だと思っています。

当時のカメラは同じ1/250で撮影してもスパイクのボールがニコンF3は流れ、キヤノンF-1は止まるという事も経験出来ました(ニコンから始まり、キヤノンへ移行した時期もこの頃)。

感性はそう簡単には変わらない、身につかない事と同様に技術もそう簡単には身につかない。

最近、褒めていただけはしても具体的に何が良いのかの核心部分をなかなか言ってもらえず、それを自分の中で明文化しておきたいなと思い経って考えるようになっていました。あれからはや数年。出した答えが

『未完成』

きっと自分の写真の良さはここにある。そう思えるようになっていました。未完成な写真、されど高評価していただける写真、その1枚の未完成な写真に何が欠けているのか? それは、、、『あなた』なのです。あなたというボク自身キーワード、観てもらえる、感じてもらえる『あなた』によってそれは完成する。

あなたの感情が最後のピースとして、そこに入ることによって完成する写真という名のパズル。

これから試合に臨むという時、選手達が感情移入してくれて、気分を高め、そしてひと泣きして冷静になり試合に臨んでくれるモチベーションVTRに使っていただけるのはそういう事なのかと思えるようになっていました。

だから足りない。『切ない』のかもしれません。。。

もしくは単純に自分の寂しさが入ってしまっているだけなのかも。。。

まだまだ自分自身で解明するのは至らず、結論は出ないようです。