写真を撮影するということ、行為は撮影者の想像力の産物。
撮影者の想像力によって商品を売ったり、集客をしたり。
しかしカメラを置くと現実は・・・
未払いの芸能事務所、「いいですねぇ〜最高です」と言いながら次のない代理店、発注を均等に割り振らないといけない出版社。スチル写真に料金を払うとは思っていないテレビ局、使っても払わないテレビ局、公共団体。
カメラが写真を撮ってくれる人、写真なんてあればいいというクライアント。そんな人たちにはわからないだろうけれども、それは撮影者の苦しみや悩みをともなう。井戸が枯れることだってある。
芸能界、音楽界も同じこと。
芸能界、音楽界、プロスポーツ界の薬物使用による逮捕は報じられるけれども写真界の薬物使用逮捕はそんなに報道されてはいない。
だから沢尻さんの薬物使用も清原さんのそれもよく理解できる。快楽だけの薬物使用だけではないのが厄介なところ。普通のホステスさんやホスト、悩みを抱える主婦だって同じことが言える。
実際に逮捕された同業者も知っている。でも逮捕されるのがダメではなく、使用による自己犠牲、そっちの方を知ることの方が意味はあるし、大きく報じられるべきであろう。私たちの人生は意外に短くもあり長くもある。
駄作だと自分でわかっていても、それを「こんな駄作でありがたがってくれているw」と笑えるようになる、出来ないものは出来ないと言える、寝られない時は寝ないでいい。逆に寝てはいけない時に寝てしまったっていいじゃないか。
薬物使用者を激しくバッシングする奴ほど自分のダメさ加減がわかっていない。それは他のことについてもいえる。自分を知っていたらそんなことは言えない、匿名でも書き込めない。
そう思う。