MICHI ISHIJIMA - Pride One -

教わるではなく感じたこと、教えるではなく感じさせること。

教わるではなく感じたこと、教えるではなく感じさせること。

先日夢をみました。

目が覚めて、それが誰であったのか?も忘れてしまいましたが、内容は目の前でその知り合いが連れて行かれ、ちょっと距離のあるところで鋭利な刃物で刺され、そのままその刺された刃物を上まで上げるというものでした。その後そこに居た見知らぬ人2名も袋を頭からすっぽり全身に被せられて、立て続けに同様なめにあっているところを冷静に見ながら「上半身は2つに綺麗に別れたのかなぁ〜」というところで目覚めました。

すぐに『夢占い』で調べたところ、それは『良い夢』、「新しいことが始まる前兆、願いが叶う予兆」なのだそうです。

今日、昔から『この編集者は石島道康を取扱説明書通りに扱える数少ないひと』だった方がお辞めになるということでお会いさせていただきに伺ってきました。

お話の中で「FOOTALLはまた撮らないんですか?」「アメフト?」「サッカー」という話になり、「今の(世に出ているサッカー)写真つまらないから、見せてあげてください」。「今の写真はカメラの性能が上がってカメラが撮ってくれていて、撮らされているから」と受け応えする中で「あっ、撮らない理由を自分自身で言い訳して探している」ということに自分で気が付いてしまいました。

別れ際に「だってミチさんの写真来るまでレイアウト組まないでいいから!って(デザイナーに)言ってましたもの」という刺さるひとこと。

そんなことを言ってくれていた方が辞めてしまう寂しさ、そして現在の自分。サッカー自体に魅力を感じなくなってしまい、申請やら取り巻きやらの煩わしさが嫌になってしまっている自分。なんか答えの出ない考えを巡らせながら帰宅しました。

昨日ちょうど「今週末は珍しく大宮アルディージャvs鹿児島。試合ではなく知り合いのチアが出るからw」という話をした際の聞いた話「今週末のジェフユナイテッド市原・千葉対東京ヴェルディのチケットは完売で買えなかった」という話、何故安くもないチケット買ってその試合に行きたいのか?なぜプロ野球に人は集うのか?と想った疑問が蘇って来ました。『想い』の込められていない写真なんて事実のキャプチャーなだけであって面白くないと想っている身、観客のその熱意はどこから来てどこに行くのか?!地元の誇りであるJリーグ、プロ野球。入れ込みや気負いがない部分で、逆に広い視野で新しいものを撮れるのかなぁ〜などとも思うようになっています。

紙誌面に溢れかえるつまらない写真のオンパレード。これでいい、載っていればいい、ではない「つまらない写真」をちゃんと「つまらない写真」とわかっているひともいるということ。でもそのひとりがお辞めになってしまうということ。なんだか複雑な中のシンプルさが心の中で動き出してきた自分。

「あぁ〜、そういえば老後はポルトガルで暮らしたい」という夢を2004年には持っていたなぁ〜と一度諦めたことを思い出させてくれた今回の出来事でした。

本当にお世話になりました。

ありがというございました。

もの凄くシンプルに、ただ撮りたいから撮る。

そこから再び出直ししてみたいと思います。

*本日の写真は、そのユーロ2004ポルトガル、ドイツのエージェントで当時歴代1位の世界販売を記録した写真。欧州で販売された写真集にも見開き掲載されています。もちろんノートリミング。