捕食って、なんだか好きで・・・
ひとは食べることによって生きている。食べることによって相手を栄養素として取り込み、遺伝子を含めて自分の血や肉として自分自身を形成していく。取り込まれたものは自分を食べた相手の細胞をつくり、捕食者を生かしながらその中で自らも生きていく。
昨夜から映画を立て続けに観ていました。朝6時を過ぎて遅ればせながら『君の膵臓をたべたい」を観ました。
今から2年前、2017年にこの捕食を考えることが自分の中でブームとなっていました。それはこの映画始まりではなく、アニメ映画『進撃の巨人』を観て、巨人が人間を捕食することから深く考えるようになっていました。この映画『君の膵臓をたべたい』も2017年に公開されてはいましたが、爆弾処理班班長(松重豊さん。『逃亡者 木島丈一郎』フジテレビ)のセリフ「1800円も払って他人(ひと)の色恋沙汰を見せられても」と同様、自分の中では恋愛映画というくくりにあったため、内容も知らず、観たいとも思いませんでした。
この捕食の考察にしても他のひとに話をしたところで、いつものように変人扱いされるのも知っているし、共感を得られるとも思ってはいません。これまでも特定のひとにしかこの話はしたことはなかったのですが、その時も「膵臓ではなくて?」という返しを可愛い笑顔でされたことはよく覚えています。
様子のおかしい桜良の病室に忍び込んで『真実か挑戦かゲーム』で「君にとって 生きるってどういうこと?」という春樹の質問に「まじめかよぉ〜」と言いながら話した桜良の答え「誰かと心を通わせること かな。誰かを認める 好きになる 嫌いになる 誰かと一緒にいて 手を繋ぐ ハグをする すれ違う それが生きる 自分ひとりじゃ生きてるってわからない。そう、好きなのに嫌い 楽しいのにうっとおしい そういうまどろっこしさが ひととのかかわりが あたしが生きているっていう証明だと想う だから こうして君といられて良かった 君がくれる日常が あたしにとっての宝物なんだ」
主人公を演じた浜辺美波さんの演技力に引き込まれました。まるでプールの水が鼻から入った時のような感じや味を感じグジュグジュになりながら。
『誰とも関わらない。いつだって自分自身』。春樹は見方によっては「弱い」にとれます。でも桜良はそんな春樹を「強い」と表現します。
この映画の前に観た『容疑者 室井慎次』(フジテレビジョン・東宝)での津田弁護士(柄本明さん)のセリフに「神様は勇気というものをひとりにひとつしかくれない。それを捨てると2度と手に入らない」とありました。室井慎次の大学時代の彼女も不治の病を持ち、亡くなり、そして日記が出てきます。春樹とは逆に桜井杏子(木内晶子さん)は他の人と関わり過ぎて殺人が起きます。
「違うよ。偶然じゃない。流されてもいない。私たちはみんな自分で選んでここに来たの。君と私が同じクラスだったのも あの日病院に行ったのも偶然じゃない。運命なんかでもない。君がしてきた選択と わたしがしてきた選択が、わたしたちをあわせたの。わたしたちは自分の意思で出会ったんだよ」桜良は春樹にそう伝えます。
自分で選んできた結果がここにある。この桜良の考え方も、最近自分で納得していた考えでした。生まれ変わったり、やり直しが効いたとしても、性格同じだし、同じ選択をしちゃうだろうからと最近妙に納得していました。もし変えられるとしても、これまで逢ってきた大好きなひとたちとも再び同じに逢えるとも限らなくなってしまう。どちらを選ぶか?!は考えるまでもなくこの現実に過ごしてきた日々を選びます。ただ僕自身、もう勇気はすでに捨ててきてしまっていました。これ以上を望んではいけないのかもしれません。桜良は春樹になりたく、春樹の中で生き続けたいと願います。そして幸か、不幸か、僕自身は誰に食べられるではなくこうしてここにいます。でもその代わりこれまでの大好きなひとたちを撮影した「写真」の中で生き続けられる気がしています。
こうしてここに記している自体、春樹のように『自己完結」できずにいます。それは弱いでも強いでもなく心を通わせたいから。でも春樹が桜良に言いかけて止めた最後の『真実か挑戦かゲーム』の質問はこれまで僕自身したことがありません。これからもないでしょう。その質問の答え自体が怖いからです。
「君にとって僕は・・・」
「カメラマン」だったら自分が無くなってしまいそうで。。。。