MICHI ISHIJIMA - Pride One -

昔の写真で生きてます(汗)

昔の写真で生きてます(汗)

先日、横浜にての写真展の題材の相談させていただきに伺ったキヤノンさんで思い出した1991年の45日間のアフリカ写真撮影渡航。ヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)をクライアントとして。

当時はまだ格安航空券などもなく、それよりもなによりもフィルムを大量に抱えての渡航でした。

エールアフリック(アフリカ航空・エールフランスの資金で立て直した航空会社)でつないでの横断、縦断でした。すでに厚手ジャンバーが必要なパリから入り、赤道を超えてセネガルの首都ダカール。ひとりパリ=ダカ(昔パリダカール・ラリーというレースがありましたw 今はダカール・ラリーになってしまいましたが)。ダカールの空港では、ホテルの住所すらわからず(ネットなんて当時はない_、唯一「地球の歩き方」に出ていた住所は日本大使館の住所。それを入国手続きの書類に書いたら引っかかり、お呼び出し別室(自爆)。「これは大使館の住所だ!」って、凄いねぇ〜知ってるんだね〜大使館住所www 伊達に入国審査を仕事にしてなかったようです(爆)

セネガル何日居たか覚えていませんが、そこから今度はケニアに向かう予定で、飛行機乗り換えだけの予定でトランジットしたトーゴ、東ガーナとも呼ばれていましたが、そこの首都ロメで、飛行機の不具合で下車(笑)しての1泊(2泊だったかな?)。まさか飛行機1機しかない訳ではないでしょうが(爆)、乗り換えした後に着席後2時間飛ばずに、降ろされ(爆)、搭乗客はいくつかのホテルに分けられてのチェックインまで強制連行(爆)。騒ぎ出す客もおらず、それほどまでにのんびりしていた当時でした。路上マーケットくらいしか見るところ、遊ぶところもなく(笑)。そこで白人老夫婦の略奪スリ(急にポケットに手を入れられて中身を盗み逃走)に遭い、それを目撃したり、あぁ〜そんな場所なんだーと想ったり。

ケニアは暑い暑い、ひたすら暑かった記憶が。荷物にはジャンバー入ってましたがw。1週間くらい過ごして、そこからマダガスカルへ渡りました。今でも名前覚えていますが、アンリアナスル・ウーニーという女性に恋をされ(/ω\)、滞在期間中ずっと日本語を一生懸命に覚えようとしていました。やはり1週間、別れ際に持っていたヘッドフォンステレオ(プラスチック製のかなり安かった気がする)を日本語の曲の満載したカセットテープとともにプレゼントとして置いてきました。当時から気前よかったなぁ〜(自爆)

ケニアに戻り、今度はエアコンのない車で3−4時間離れた場所へ移動して、あまりの暑さで何したかすら覚えていない(爆)くらいの暑い記憶しかないw そこからのジンバブエへ。

ジンバブエでは4人(6人?)乗りの双発機の副操縦席に乗り、ホテルのチェックインまで飛行機移動(笑)。そのホテルは高級なホテルらしく、短パンTシャツでは食事すらさせてもらえないことが書いてあり、ホテルの売店でシャツ買いました(爆)。しかもそのレストランの女中さん(笑)がこの初めて見る東洋人が食事している間中いじってきやがって、何日も無視してたら「英語話せないの?」と言ってきやがったので「じゃぁフランス語はできるのか?」とフランス語で言ってやってた記憶があります(笑)。黒人ということで毎日いじめられていたのでしょうね、、、。部屋は崖の上にあって、階下にはカリバ湖。バルコニーには木があり、それを使ってつたって来てくれたのか? 女中さんとは逆にw、(たぶん)猿が木のみをバルコニーの窓際に数個ウェルカムで毎日置いて行ってくれました。そして保護区になっているのであろう像の群れを普通に眺めていた日々でした。

ホテルフロントに「絶対に湖で泳ぐな」と厳重注意されながら、全身にマラリア蚊除けスプレー塗りたくりながら、崖下のカリバ湖に撮影に行ったり、ボートで湖面側から水を飲みに来る像の親子、ファミリーを撮影したりしていました。

最後の訪れたのは、まだアパルトヘイト(黒人差別主義)の南アフリカ。ビザはパスポートにあると他の国が入国出来なくなる時代だったので、事前に別紙にもらっての入国。綺麗な印象しかないヨハネスブルグの中央駅、そして街並みでした。2009年になり、再び訪れたアパルトヘイト後のヨハネスブルグは荒廃し、ホテルの人に言われた「行ってはいけない場所」になっていました。

そんな記憶とともに写真展、、、やりたかった。

でも、時は28年の月日を経ていました。

ヤンマーディーゼルはヤンマーになり、東京駅の目の前にあった社屋は改装され、海外部は大阪に移転し、担当さんは10年前に会社を退職なされておりました。そしてフィルムは、、、土に戻っている最中でした。

いざ無いと知ると残念でなりませんが、なんでもっと早く気がつかなかっただろう。まっ、それがすべてにおいてのボクの人生でした。そしてそんな記憶すらも今では夢見ていた?と想うくらいに。。。

最近になって、Number(文藝春秋)が20年前のストイコビッチを表紙にしてくれ、誌面を作ってくれ、朝日新聞がやはり20年前に天皇杯で名古屋グランパスと対戦した関西学院の元選手を取り上げるのに写真を引っ張り出してきてくれ、あと何かあったのですが、それも忘れてしまうくらい古い写真を仕事にしてました。

でも30年前はやはり無理でした(汗)。フィルムはオリジナルしかない(複製は作れますが)。デジタルデータもクラッシュで一瞬にして消える。フィルムもデータも無くなったら撮らなかったのと同じ。でも印刷物は残っています。デジタルでネットに掲載されたものなどは、フジテレビのバボちゃんネットのようにポンと消してしまい、何も残らないような時代です。

気に入った写真は印刷物、もしくはプリントしておいた方がいいです。

たとえ今は必要ない、なかなか見ない写真かもしれませんが、10年、20年、30年経って昔を思い出す時は必ずやってきます。実感してます。是非とも残しておいてください。

アフリカの写真もそうですが、名古屋グランパスでボクが最後の日の長居スタジアム(今のヤンマースタジアムw)で、選手たちがサポーターの残るスタンド前で前代未聞、後にも前にも居ないフォトグラファーが胴上げされている写真、せっかくCDでもらっていたのに、見るのが嫌で見ていなかったら、そのCDごと消えちゃいました。プリントでとってあったら、、、