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バレーボールに残して来たもの

バレーボールに残して来たもの

皇后杯トヨタ車体クインシーズ優勝おめでとうございます!

今年1度も出向かなかった天皇杯皇后杯全日本選手権でした。SNSにあがって来て知ったトヨタ車体クインシーズの優勝集合写真にはサンタクロースの赤い帽子。これから毎年この時期に優勝集合写真を見るたびに「これを始めたのはオレ! オレ!!」と誰も聞いてくれるでもなく独り言のように話し始めるのだろうか?!(笑)

当時、鹿児島県で行われた決勝に飛行機で持ち込んだ数十個の赤いサンタ帽子とトナカイのツノでした。表彰時に当時優勝を決めた久光製薬のマネージャーに「被ってもらっていいですか?」から始まり(持って行った以上に人数がいたために男子までまわらずw)、そこから続いた皇后杯優勝チームのサンタ帽子。自動車レース、インディー500の優勝者が牛乳を飲むように伝統は作られるものと超個人的に始めた企画でした(笑)。そして昨年協会が一言もなくシラッと用意してくれ(一言もないのがバレー協会広報部員の性質)、「あぁ、オレの役目は終わった。(自分に)ご苦労様でした」と誰に労われるでもなくその役目を終えました。

そして毎年お正月の風物詩である『春高バレー』もその任を解かれました。

「経済的に厳しくスチル写真は要らない」と新しくなったプロデューサー。『とんねるずの・・・』『めちゃいけ』とともに終わるのは名誉なのか?そもそも並べちゃダメだろ(と自己ツッコミ)と明るく気を紛らわせようと思ってもひとつの終焉。

僕がいなくても「コート内に脚立持ち込み禁止」は続けてくれることを願っております。

いろいろと日本バレーに残して来たものあるとは自負しているのですが、誰もそれを始めた人のことは思い出さずに消えていくのは世の常なのでしょう。世界のバレーを見渡しても写真が大きく変わりました。真似されるのはそんな難しい写真ではないことなので喜んでいます。世界のバレーボール写真が石島好みになったということなので。

いっぽう日本バレーボール界に残して来たもの、、、

覚えていてくれるひとがひとりでも、覚えていてくれることがひとつだけでも幸せです、、、語り継がなくてもいいです(笑・汗)。

写真を仕事に、撮影費を初めていただいたのがバレーボールでした。途中おやすみありながらもこうしてバレーボールに携われ、少しでも役に立ててされるのは幸せなことだと思っています。

バレーボール、ありがとうございました。お世話になりました。

楽しかったです。

腹も立っこともいっぱいありましたが(笑)。